代替食品をおいしくする努力を讃えたい

大塚食品が「ゼロミート」という大豆を使った肉不使用のハンバーグを発表したらしい。世界の人口増加による食糧不足に備えた、肉の代替食品だという。本物の肉のハンバーグの味と食感を感じられるように拘って開発されているらしい。こういった、食料品を開発する時の日本企業の姿勢というのは面白い。代替で栄養が取れれば良いのであれば、大豆から抽出したタンパク質をそのまま売り出せば事足りるはず。アメリカのソイレントなどはその良い例で、あれは生きるために必要な栄養分が全て取れるが、味の事は大して考えられてなさそうだ。しかし、日本でそういった代替食品を開発する場合は、まずおいしさにこだわったり、モデルとなる食べ物の味を再現したものを作ろうとしているように見える。ただ代替を求めているのであれば、全く必要のない努力だし、とても非効率だ。

災害時のための備蓄食品に関してもそうだ。非常時を想定するなら、味や食感のこだわりより、すぐ食べて栄養がとれることの方が重要なはずだ。しかし、災害時以外でも楽しめるものを開発しようと努力している。合理性を考えたら、とても不思議な努力をしているように見える。

しかし私はそんな日本企業の姿勢が好きだし、応援したい。こういう、どんなところにも楽しみやエンターテイメント性を入れてくるところが、実は日本の得意なことなのではないかと最近思っている。非常時でもおいしいものが食べたいとか、楽しみを見出したいという発想自体がナイスだと思う。加工食品業界に限らず、いろいろな業界で、ぜひ完全な合理性に走らず、変な努力をし続けてほしい。

「ジャイロモノレール」は上質なオタク指南書だった

 森博嗣著の「ジャイロモノレール」を読んだ。

ジャイロモノレールとは、ジャイロを使って自律的にバランスを取りながら、一本のレール上を走行することができるモノレールのことである。自身でバランスを取ってくれるため、現在実際に運用されているモノレールのように車両が挟み込む頑丈な太いレールも必要ないし、上から車両を吊るすための大掛かりなレールも必要ない。普通の列車が走る線路の片側のレール上でも走ることができる。簡単なレールで良いため、工事が圧倒的に楽になるらしい。レールを引ける場所の自由度も格段に高いだろう。

このジャイロモノレールは20世紀の初めに研究され、実際に動く模型も開発された。しかし、戦争が始まったため、実用には至らず、その技術も失われてしまったらしい。文献や模型は残っているが、単なる空想の類だろうということで、顧みられることがなかった。その技術を知った著者が、調べていくうちに、理論的には実現可能なのではないかという結論に達する。そして研究を開始し、実験と工作を繰り返し、ついにはジャイロモノレールを再現させた。

本書は、ジャイロモノレールについて、一般の方にもわかる範囲で説明を試みたものである。

と、まえがきにある通り、本書の大部分は、ジャイロモノレールを実現させるための理論の説明と、実験と試作機の制作過程に割かれている。しかし、著者のメッセージは、第5章 個人研究の楽しさ に集約されていると私は感じた。日本では、趣味とはあくまで娯楽や遊びのことであって、仕事の息抜き程度に考えられている。しかし、イギリスにおける hobby は、仕事よりも重視される存在で、人間の品位を形成する要素の一つだという。大人の嗜みとしての、文化的な探求こそが趣味である。定年退職後にやりたいことがみつからないという人がいるのは、このような趣味(個人研究)を行う素養を持たずにいたからだと著者は訴える。

個人の楽しみとして、仕事とは関係のない分野を探求している人をなんと呼ぶか。私の中でそれを表す言葉は「オタク」だ。オタクという言葉も、年代によって人によって解釈が異なるため、扱いづらい言葉だが、最近ではポジティブな意味として使われることが多くなってきていると感じている。オタクと言うと眉をひそめる人もいる。それは、自分にはよくわからないものを強烈に愛好していることに対する、理解できないという反応であり、そういう反応をする人こそ、仕事以外に趣味を持たず、定年後にやりたいことがなくなってしまう人なのではないだろうか。ジャイロモノレールなどという、聞いたこともない乗り物について、自身の素養を総動員して技術を調査し、検証し、実験と試作を繰り返し、実現してしまう人物は、オタク以外の何者でもない。この本は、これからの時代を生きる人達に向けた、オタク活動の指南書と言える。

 

ジャイロモノレール (幻冬舎新書)

ジャイロモノレール (幻冬舎新書)

 

 

秩父へ行ってきた

秩父へ行ってきた。
昨晩、妻が突然「明日は盛岡か秩父へ行くぞ」と言い出したのだ。
目的はよくわからない。
それなら秩父のほうが行きやすくて良いなあ、
ということで秩父にした。

池袋から西武線に乗り換えてレッドアロー号という特急に乗る。
東京から埼玉に入ったあたりから急に畑が多くなる。
やはり景色が変わってくると遠出をしている気分になってくる。良い。
飯能駅で電車がスイッチバックして、後ろ向きに走る形になる。
なぜそのような線路の引き方をしてしまったのだろう。不思議だ。
ここから山に入って行き、また一段と景色が変わってくる。
妻は「山田線のようだ」とつぶやいていた。
岩手に行くまでもなくその気分は味わえるようだ。

後ろの席に二人組のおじさんが乗ってた。
何かの会合で今日は秩父に泊まるらしく、
「今年は珍しく〇〇君も泊まるらしい」だの
「着いたら俺たちはすぐにお風呂に入るの?」
とか何とかよくわからない会話をしていた。

西武秩父駅に着く。
まずは秩父神社へ行こう。
踏切で秩父鉄道の線路を渡って、北へ。
人が全然歩いていない。
駅前までたくさんいた人たちはどこへ消えたのだろうと不安になったが、
神社の参道に入ったあたりから人通りは多くなってきた。
途中の煙草店の建物が格好いい、と思ったら有形文化財になっていた。
参道にあるじじいばばあみたいな名前の店でみそポテトなる食べ物を買う。
天ぷら粉をつけて揚げたじゃがいもに田楽の味噌をかけたもの。
全然知らなかったが秩父の名物らしい。
その店には猪肉の串焼きも売っていて、少し気になったが買うのはやめた。
店の人によると、今日あった横瀬のイベントに出店したが、
1時間もたずに完売した人気商品だそうな。
次の機会があったら食べてみよう。

秩父神社に着く。
参拝客は結構たくさんいた。
境内には参拝のための行列ができていたほどだ。
普段は宗教とは縁遠い生活をしている日本人も、
神社に来れば正しい作法で参拝をするのが面白い。
タイのお坊さんらしき袈裟をまとった方々も来ていた。
仏教徒も神社に来るんだなあ。
その坊さんたちは結構良いカメラであちこち写真におさめていらっしゃった。
秩父神社には良い彫刻がたくさん飾られている。
左甚五郎作もあった。
これだけで今日来て良かった気がしてきたぞ。
社殿の奥にはたくさんの神様を祀った天神地祇社なる建物がある。
横にずらっと長く、たくさんの小部屋に区切られていて、
それぞれに神様が何体かずつおさめられているようだ。
さながら神様の長屋である。
すべての扉が閉められていたので中がどうなっているかはわからなかったが、
神様が狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めになっている姿を想像してしまった。
境内には宮家の方が御植樹された木が何本もあったが、
その中でも乳銀杏というのが印象に残った。
枝から木の一部が垂れ下がったような形になっていて、
ちょうど牛の乳房のような形をしている。
そのようなものが何十本も垂れ下がっている。
そこには銀杏の実が落ちていて、あの独特な香りが漂っているのだが、
不思議と乳のような匂いに感じてくるのが不思議だった。

秩父神社はこの辺で後にして、せっかくなので荒川を見ていこうということになった。
秩父神社を出て西の方へ向かうが、
もう観光客らしき人も地元の人も全く歩いていない。
地元の人はみんな車移動のようだ。
荒川を架ける橋の上から眺めてみたが、山の中に佇む荒川も乙なものである。
普段みている下流荒川放水路とは全く違う姿だ。
橋の上から武甲山が見えた。
石灰を採掘されすぎていて、山の形が変わってしまっている。
人の業も大したものだと思わされる。
しかしあの山が削られてコンクリートになり、
東京の街ができていると考えると妙な感慨がある。

さあ、そろそろ暗くなってきたので駅に戻ろう。
途中で矢尾百貨店に寄り道する。
5階建ての立派なデパートだ。
なんと屋上遊園地がある!
100円で2分間見れる望遠鏡で武甲山を見るも
すぐ飽きてしまい、2分持たなかった。
なにか貢献したいと思い、客がいないレストラン前でしばらく逡巡したが
結局入らずに降りてきてしまった。
惣菜のみそポテトと、地元野菜コーナーにあった乾燥シイタケだけ買ってきた。

駅に戻ってみたら、なんと西武線で人身事故があって
池袋までの特急が運休になっていた。
仕方がないので、駅前にある祭の湯という商業施設のフードコートで
時間を潰すことにした。
せっかくなので夕飯を食べていこう。
これまた秩父名物というわらじカツ丼を食べる。
甘いタレのかかったカツ丼で、肉も柔らかく、おいしく頂けた。
しばらく待っていたが、電車が復旧するメドは立ちそうになかったので、
飯能まで特急に乗って、その後は西武線の急行に乗り継いで帰ってきた。

今まで秩父に対する関心は特になかったのだが、意外と楽しめた。
まだまだ見どころは残っていそうなので、また気が向いたら行ってみようと思う。